
藁への思い
「ちくしょー、もったいねー」安曇野市明科に家を建て、その前にある田んぼを素人ながらに初めたばかりの頃でした。茜色に染まった景色の中で藁の片付けをしていた時、心の底から湧き上がった感情です。
あの頃は、稲刈り機で束ねた藁の小束を36本一括りにして山のように積み上げておくと、牛農家さんが買取ってくれました。稲刈りや脱穀に続いての藁の片付けは体力的にもきついものでしたが、山のように積み上げてもほんの数千円にしかならず、苦労して育てたというのに「ちくしょー、もったいねー」と虚しさが溢れました。
これが「藁細工をして藁を活かそう」と心に決めた原点、とても大切な記憶です。
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宮崎清著書「ものと人間の文化史 藁」より抜粋
衣生活においては、頭の上から足の先に至るまで、人びとは身体の全体をワラで包んだ。食生活、住生活、生業、運搬、遊戯などあらゆる生活領域において、枚挙にいとまがないほどの「ワラの文化」が展開された。…こうして、日本人は、ワラのなかに生まれ、ワラのなかで育ち、ワラのなかで彼岸に送られ、そして、ワラによって彼岸からこの地に迎えられた。われわれの暮らしにとって、ワラは欠くことのできない、まさに「日本の文化の核」なのであった。
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藁やの藁篭は「畚」という古民具を元にしています。「畚」は、昭和30年代頃まで使われていた、野菜や土、肥料などを運ぶバケツのような道具です。プラスチックのバケツが使われ始めたのは、今から100年ほど前、大量生産大量消費が始まった昭和中期以降のことです。対して藁はどうかと言うと、少なくとも1000年前の平安中期頃まで遡ります。「枕草子」には根刈り稲架掛けの風景が描かれており、藁の活用が一般化していました。更には古墳時代の遺跡から根刈り用鉄鎌が出土しており、更に長い歴史があることが伺えます。
撚りがかかった藁の束と、撚りがかかった束を撚ると縄ができます。これが縄文の時代から日本人が繋いできた「綯う」という行為です。藁やの教室でも、初めて藁を触る人も縄を綯い、篭に仕立てることができます。それは、藁を仕立てる技が長い歴史の中で万人ができるよう厳選され培われてきたから。
これこそ、日本人が脈々と育て受け継いできた大切な知恵、文化といえます。しかし、現在、縄を綯える人はとても少ない。「綯う」という言葉も消えつつあります。縄文の時代から日本人が繋いできた文化が、今途絶えつつあるという現実です。
3000年もの長い間、この日本にあり続けてきた田んぼの景色。もしこの先、石油が枯渇しても、もし気候が変わったとしても、きっと日本人は米を手放さないでしょう。
それは、藁も日本にあり続けるということ。藁を仕立てる技術を次の世代に繋ぐことは、今を生きる私たちの責任だと私は思っています。


藁やの田んぼ
春になって水が張られると、田んぼは水鏡となります。音も反響し、夜はカエルの大合唱が響きます。夏には、田んぼは緑の草原となり、秋には黄金の稲穂原となって風にたなびきます。収穫した稲穂をかけたはぜが何本もたつ風景は豊か。そして収穫を終えた田んぼには、また静けさが戻るのです。田んぼに雪が積もると一面真っ白に。季節と共に七変化する田んぼ、その美しさは見事です。
「働かざる者食うべからず」田植え、稲刈り、脱穀はできる限り参加するのが我が家のルールです。更には無農薬で米を育てているので、田植え直後から出穂する夏までは、泥だらけになってひたすらに雑草をとります。腰が痛く大変ですが、時にアルプスを眺めたり、稲の中に顔を埋めて草をとる時、様々な生き物の暮らしを眺めるのも楽しいものです。
四季折々の七変化する田んぼの景色と、家族の喜怒哀楽と。そうして採れた米を家族で面突き合わせて旨いうまいと喰う、これは最高の幸せです。


藁やのはじまり

私は、千葉大学工学部工業意匠学科、意匠論意匠史研究室に在籍し、ワラ細工研究の第一人者である宮崎清氏に師事しました。当時、宮崎先生は藁細工など地域に根ざしたものづくりを活かした地域活性化に取り組んでおられて、先生について福島県三島町や新潟県高柳町など、様々な地域に足繁く通いました。地域にお邪魔する中で、藁細工を見たり教わったりすることもあり、いつかどこかに根を下ろし、昔からある手仕事を繋げられる人になりたい、と憧れをいだくようになりました。
そして、時を経て、縁あって安曇野市明科に居を構え、流れの中で田んぼをすることになり、改めて藁に触れて記憶が蘇り、あの感情が湧き上がったのでした。
ものづくりを「藁」に決めたものの当初は何を作ろうかか見えていませんでした。
そして、たまたま出かけた東京の日本民藝館で、更にたまたま展示していた篭を見て、これを作りたい!と一目惚れしました。運命だと思いました。どうしても作ってみたくて篭の前に座り込み夢中でスケッチしました。そして、作り方を調べ、道具を揃え、謎解きをするような気持ちで何ヶ月もかかって初めての篭を完成させました。
できた篭を眺めては再考し作り直して…そうやって少しづつ変化させながら長い時間をかけて藁やの篭たちができあがりました。
藁やの真ん中にあるもの
私の藁細工は「ちくしょー、もったいねー」の感情から始まりました。
ですから、田んぼから生まれた藁はできる限り使いたい、これが私の根っこにある、藁への思いです。どんな藁も使うべき場所、活かせる所が必ずあります。上手に活かせば、全ての藁は美しい輝きを放ってくれます。
えっちらほっちら田んぼを耕し、どうにかこうにか家族で一年食べれる米を採り、そうしてできた決して特別でない藁を「きれいだなあ、もったいないなあ」と愛でながら、可愛い可愛いと仕立てる。
現代の暮らしに活かせる道具を作り、田んぼと暮らしを繋ぐこと、これが私の、藁やのものづくりです。
昔から続くはざがけの風景と共に、そこから始まる藁の世界が広がることを願い、藁細工の魅力を発信し藁細工のすそ野を広げること、藁細工を稼げる仕事として繋いでいくこと、を目指しています。
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・1972年生まれ 千葉県我孫子市出身 5人の子の母
・2009年安曇野市明科へ根を下ろし、自宅前の7畝の田んぼで自家用米の無農薬栽培を始める
・2016年日本民藝館で畚に出会い、藁篭作りを始める
・2019年 第18回全国編み組工芸品展 NHK福島放送局長 受賞
・2024年度 日本民藝館展 新作工藝公募展 入選
・自宅にて藁細工教室を開催、公民館講師なども務める
| 住所 | 〒399-7101 長野県安曇野市明科東川手353-1 |
| 電話番号 | 080-6995-8813 |
| メールアドレス | waraya.yukari@gmail.com |

